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zoom RSS 山下家の男子

<<   作成日時 : 2009/10/07 21:33   >>

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前々回のエントリーで、山下奉文大将をはじめとする、山下家の男子の強い信念について
改めて気付かされました。
山下家は、山下奉文大将とその兄・奉表(ともよし)海軍軍医少将という
二人の将官を出しているので、さぞ裕福だったかのように思われる方もいらっしゃるのではと思います。

しかし、山下大将は、高官でありながら、金銭的には苦しい思いをしてきた方です。
むしろ、貧乏生活だったからこそ、兵隊や現場の人たちの気持ちが理解できたのではと思うのです。
そして、高知出身者らしく(?)強い信念の持ち主であった・・・。
これは山下大将だけでなく、山下家の男子に伝わるものなのではないでしょうか。


こんなエピソードがあります。
山下奉文(当時は陸軍大佐。歩兵第三連隊長〜陸軍省軍事課長で48歳)が、
兄・奉表(ともよし)が昭和7(1932)年4月8日に51歳の若さで死去した際、
その臨終を看取るや、甥4名を一室に集めて以下の訓示をしました。

山下家には金も財産もない。お前たちは兄弟四人仲よくして、ただ突っ走れ!
一人でもぐれたり、横道にそれたりしたら、みな学校に行けなくなるぞ。いいか!」


☆「ぐれる」という言葉は昭和初期にすでにあった!

その結果、兄・奉表の子四名は、ぐれずに大学まで行けたということと、
うち三名が旧制第五高等学校(熊本)〜熊本医大を出て医師になったということでした
そして、このエピソードを『一方会会誌』(第一方面軍関係者の戦友会誌)
で紹介した山下九三夫(くみお)氏は、実子のいない山下大将の養子として入籍しました。

山下家からは医者が多くでています。
これは山下大将の父・佐吉(さきち)の影響が大きいと思います。

画像


佐吉お父さんは、師範学校をでて高知で小学校の教師をしていたのですが、
ある時医者に転向することを決意します。
おそらく、高知の山中だから、
重病人が出ても満足な医療を受けることがままならない現状を打開しようとしたのかもしれません。
お父さんは、家庭を持つ身でありながら、妻子を妻の実家に預け、
高知や長崎で医師の修行をはじめました。
山下奉文大将が生まれたのはこのころでした。
山下大将が三歳のころ、お父さんはようやく念願の開業医となったのでした。
それ以降もお父さんは、生涯学び続けたということです。
ぼやぼやしとると時代に取り残される」と

そのお父さんの座右の銘は「終始奉公
だから、二人の息子の名に「奉」の字をつけたのです。


お父さんが医者として苦労しているのを一番見ていたのが、
山下大将の兄・奉表だったと思います。
お父さんの姿を見て自身も医師を目指したと思いますが、
とにかく勉強熱心だったようです。
書物も満足に買えるお金もないので、書物の内容はすべて暗記
(これは山下大将も同様で、階級が上がってからも、その習慣をずっと続けており、
一度読んだ本は将校集会所などに寄付していたという)。
小学校を卒業して大阪に出て、医者の書生として苦学をし、
17歳で医師の前期試験に合格するほどの頭脳でありました

画像



☆山下大将より「イケメン」かも・・・。
  
山下大将でさえも、
「自分がもう少し頭がよかったら、父や兄と同じく医者になっていただろう」というほどです。
山下大将は陸軍大学校を6番で出ている、「恩賜の軍刀組」だし、
それ以前も成績が良かったはずなのに、
その大将が尊敬するほどの頑張りようだったということです。
ただ、お兄さんはお父さんのように田舎医師で満足せず、
もっと勉強したいために海軍に入ったようです。舞鶴要港病院長などを歴任し、
軍医少将で退官(1928)。その後呉で開業し、
昭和7(1932)年4月に51歳で亡くなったということです。
軍医の最高階級は「軍医中将」だから、40代にして軍医の世界で将官になったということは
よほど能力があったに違いありません


余談ですが・・・。山下大将の「女房役」武藤章中将のお兄さんもお医者さんなのです。
武藤中将のお父さんの意向によって、医師になったということです
(一方、武藤中将はお母さんの意向により軍人となった)。
久留米市で眼科医をしていたようです。
こんなところにも、不思議な共通点がありますね・・・

山下大将は、医師にこそならなかったけれど、
「普通」の指揮官ならば気付かない・言わないようなことを細かくチェックするような方でした。
武藤中将の方が細かいことにうるさそうに思えますが・・・。

その武藤中将は、部下参謀たちに
君たちはわしを細かい細かいというが、
 軍司令官閣下(山下)に比べたら、百分の一にも及ばんよ

というぐらい、山下大将は「気の付く」人だったのです。
フィリピン戦の時に兵たちの食糧の心配をし、報告に来た将校にこまごまとした指示を与える・・・。
陸軍省勤務が続いたとは思えないほど、
「現場の痛み」を理解でき、適切な対応をとることができた司令官だったと思います。
それは、小さいころからの貧乏生活や、医師であるお父さん・お兄さんの影響が強いと思います。

参考文献






山下奉文 (1958年)
山下奉文記念会
沖 修二

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軍務局長武藤章回想録
芙蓉書房出版
武藤 章

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
耐乏は最良の教師である

らしいですから、山下家の男子は最良の教師に出会えたのだと思います。

今までの記事も入魂でしたが、今回はさらに気持ちの入った記事に思います。

ありがとうございました。
うさぎの耳
2009/10/08 21:22
>耐乏は最良の教師である

・・・なるべくなら避けたいことでもありますが、そうなってしまったらその中で工夫ができるチャンスだと捉えてみることが必要なんでしょうね。
山下家の男子は最良の教師に恵まれたのかもしれません。山下大将個人でいえば、彼自身はつらい人生だったけれど、彼の判断で命を救われた兵たち(フィリピン戦で)がいたように、見えないところで彼の苦労は他者のために役立ったといえるかもですね。「山下閣下は、兵隊の命を大切にしてくださいました」と、あの困難なルソン持久戦において言わせた司令官なのですから。
今回のエントリーは、前田大尉の内容でのうさぎの耳さまとのやりとりで浮かび上がったものです。こちらこそ、ありがとうございました!
章姫
2009/10/09 09:06
誰しも貧乏は望まないもの。

ただ時世の流れもありますから、お金はあるときもあれば、ないときもあるという程度だと思います。

心の軸がないので、お金に振り回されることが多いのかと。

お金があっても無くても、心が驕らず卑屈にならずということが求められることですね。

山下家の男子は、現在を見据えつつ、未来の目標を立てられたのですから、教育は成功したのだと思います。
うさぎの耳
2009/10/11 13:20
>心の軸がないので、お金に振り回されることが多いのかと。
私もそう思います。
意外ですが、山下大将は自分の日本刀についても九段の偕行社で間に合わせに買ったものを持っていたようです。
山下さんが中将時代、ドイツを訪問し、ゲーリング元帥の別荘でたくさんの絵画を見た時、他の随行員たちが驚いていたところ、たった一人「こんなのは東京・目黒の雅叙園に行けばいくらでもある」と一言。何だかゲーリング元帥のエピ(豪華なのが大好き)と合わせると面白いですね!
章姫
2009/10/11 16:17
真善美を見極めることが大切というエピソードですね。

善悪や人間性という内面の基準は、論語やイソップ物語などで出尽くした感があります。

だからこそ、古典として今も読み続けれられるのですね。
うさぎの耳
2009/10/11 17:15
>真善美を見極めることが大切というエピソードですね。

そうですよね。
私などは山下・武藤両将軍と親しくさせていただくようになってから、「もっと古典に接するぐらいの能力がほしい」と思うようになった次第です。
論語といえば、渡辺錠太郎大将は幼い娘・和子さんを膝に乗せて読み聞かせをしたのだそうです。「巧言令色鮮仁」を特に強調していたとのこと。それを自ら実行し、他の人にうとまれ殺害されたのだと和子さんは受け取っているそうです。私もその通りと思っています。
章姫
2009/10/11 20:02
古典は誰にでも開かれていますね。

仁義礼知信を貴ぶことも大切、同時に五つの徳目の限界も知らないといけないと伊達政宗公が言っています。

仁に過ぎれば弱くなる
義に過ぎれば固くなる
礼に過ぎればへつらいになる
知に過ぎれば嘘をつく
信に過ぎれば損をする

と。いづれにしても軸を持って状況を見極めよう!ということではないでしょうか。
うさぎの耳
2009/10/12 20:29
>仁義礼知信を貴ぶことも大切、同時に五つの徳目の限界も知らないといけないと伊達政宗公が言っています
うーーーーーーーん、深いですね。
限界があると知る時は「痛み」を伴うことがほとんどでしょうから。普通に生きていると、嫌でもありますね!だから、苦しい時にそういう「古典」の一文に出会って、妙に得心したりと
いうことがある・・・。伊達さんもいいこと言ってますね。
章姫
2009/10/14 21:13
>限界があると知る時は「痛み」を伴うことがほとんどでしょうから。

そうですね。痛みを避けようとして逆に痛みに近づいていくのが人の性のように感じます。

だからこその古典ではないでしょうか。

伊達政宗公もいまでは戦国BASARAのメインキャラ。片倉小十郎も大人気ということですね。

世の中面白いものですね。
うさぎの耳
2009/10/15 20:40
>伊達政宗公もいまでは戦国BASARAのメインキャラ。片倉小十郎も大人気ということですね。

本当に世の中面白いですね。
学校の歴史だけではなく、アニメ・ゲームをきっかけに歴史を知ることが出来る日本は
いい国だなあと思います!
章姫
2009/10/19 19:40

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