雷親爺だって『にんげんだもの』

上原元帥ネタも3回目になります。

今回は、「親爺」上原勇作元帥の、実に人間らしい側面を見ていこうと思います。

画像


写真は、上原元帥私邸にて、左:上原元帥 右:今村均(当時少佐)

前回のエントリーで、上原元帥にシゴきを受けた若い軍人として、今村均(のち大将)を
取り上げました。
今回は、その今村大将が、少佐時代に、何とこの「雷親爺」の副官になってしまったという
話です。
※副官・・・役職者本人だけでなく、その役職そのものの業務を助ける意味合いが強い職
       
現在の自衛隊でも陸海空の将補以上になると、そういう人がつくようです。

かつて、田母神空将が航空幕僚長として東大の安田講堂で講演をなさった時に、
こんなやりとりがあったようです。


田母神:爆弾発言を期待している人もいるかと思いますけれども、
     今日は期待出来ないと思います(場内笑)。
     防衛白書を、今からずっと読みます(場内爆笑)。
     副官、防衛白書はどこだ

空将の副官:「忘れてしまいました」

田母神:「忘れてしまったという事ですので、喋らせて頂きます(場内笑)。
      今こうやって壇上から見させていただきますと、
      最近の東大生って歳とってますね(場内爆笑)。・・・・・」

ということで、高級幹部の補佐をする職務のため、細やかな気配りが必要そうに思えまして、
とてもでないですが、私などはつとまらないだろうなぁと思います。
ついでに、田母神空将専属副官としての資質として、
「田母神ジョーク」を理解し、的確にレスポンスできる芸人的資質と、
空将閣下がピュアであるゆえに、ブレーキとアクセルを踏み間違て枠を超えないよう
輔佐できるという資質が必要ではないでしょうか?

とてもではないですが、田母神空将に「年寄り」と判定された
東大出身者では難しいのかもしれません(人にもよりますが)。

ともあれ、相性も重要です。

このときはちょうど田母神空将が「そんなの関係ねぇ」発言で
2回目の「危険人物」判定を受けていたころでした。
私は想像でしか言えませんが、
田母神空将は、真面目に「そんなの関係ねぇでしょうな」と言ったのでしょう。
それが「お笑いギャグタレントの言葉を使うなんて」と言われて、思わぬバッシングを受けてしまった。
世の「善人」におもねるマスコミや内局から、「危険人物」判定を受けたので、
真面目に「危険人物」になったのではないでしょうか?



参考文献
WiLL 09年8月号 増刊 『田母神俊雄 全一巻』」 2009年 08月号 [雑誌]
ワック

ユーザレビュー:
読んでいてスカッとし ...
心地よく濃密な田母神 ...
総集編です表紙はもの ...
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の中の、
防衛大学校同期の永岩俊道・元航空支援集団司令官のメッセージおよび、

どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? (角川文庫)
角川グループパブリッシング
中島 義道

ユーザレビュー:
特効薬もないことはな ...
「如何に死を迎えるか ...
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※上記の著者・中島義道さんと田母神空将は、ともに「団塊の世代」ではありますが、
生き方や考え方はまったく異なっています。
私は、実のところ、田母神空将のような「元気な人」が苦手です。
中島義道さんのような「不幸を受け止めて生きよ」という人に共感してしまうのです。
でも、中島義道さんも実は、言葉だけはそう言っていても、わりと人づきあいもよいらしい
(人生をうまく半分降りる、ことに成功したため)ので、共通するところもあるかもしれないです。
特に、60代になってから「ぐれる」ことを実践しているところ。

田母神空将の伝記が出されていますが、私などは「クラスにこういう明るい人がいるとありがたい」
とは思うけれど、どうしても明るすぎて、王道すぎて、
性格がねじ曲がっている私には読んでいてつらかったです。
そこで、同世代の中島義道さん(彼は高校時代、「体育が嫌いだから学校を辞める」宣言したり、
東大に12年もいたり、自殺未遂をしたりなど紆余曲折を経て、最後は電気通信大学の教授を務められた)
の本を読むと、ちょうど自分の心のバランスが安定しました。
でも、正直「どうあがいても、生きにくい」という気持ちは変わりないです。

話を戻しまして

今村さんは、当時この辞令を受けたとき、

「知識人のあの『雷親爺』の下では、一か月も務めきれない
と思ったそうです。

当時の今村さんが上原元帥の副官となった時代は、元帥などの高官は事務的な仕事を
その人の家庭内で行わねばならなかったらしく、副官は定期的にその人の私宅に行って
職務を行わねばならなかったようです。

今村さんは、参謀本部第一課の職務と兼務での副官だったので、週に3回
この「雷親爺」の私宅に行くことになったとのこと。
・・・何だか胃がキリキリしてきました・・・。

それで、今村さんが上原元帥に副官に任命されたことを私宅に申告に行き、
帰ろうとしたところ、呼びとめられてしまいました。

上原:
「ちょっときいておく。滋賀県八日市市の飛行隊に今村という中尉がいる。あれは親戚か?」
今村:「二番目の弟です(今村安 やすし のち陸軍大佐。陸士25期)」

上原:「なに、弟じゃ?奴はけしからん男だぞ」

今村:「何か不都合なことをいたしましたか?ごく茶目な奴ですが」

上原:「そうじゃ。大茶目じゃ」といい、ハッハッハッ
     と笑っていたという。

この今村大将の弟さんは、何をしたために雷親爺から「大茶目だ」と
言われたのでしょうか?

それは何と、その前年秋に上原元帥が大阪からの帰途、紅葉
有名な永源寺に立ち寄ったあと、昼食をとろうと「なだ万」に注文していた弁当を
今村さんの弟と兵が分け合って食べてしまった!ということで、
上原元帥の昼食が、「兵隊食」になってしまった!というのです。

今村さんの弟が所属している連隊長が恐縮して元帥に謝罪し、
「あれ(今村)の弟には手がつけられません・・・」と言ったところ、
上原元帥は、珍しく!?雷を落とさず
あれの兄は、そう茶目らしくは見えないが・・・。ひょっとすると、今村の弟は
『兵たちは元帥が何を食べているのか知らんでいるだろう。いい機会だ、食わせてやれ』と思い
そういう茶目をしたのだろう。自分も久しぶりに兵隊食を食べるのもいいものだ!」


と微笑んでいたらしい。

今村大将曰く、この弟さんは、東京の中央幼年学校時代に一人の青年区隊長からいじめられたのが
きっかけで、下をかばい、上にたてつく意地っ張りになってしまった、と。

上原元帥の奥様曰く

山の高いところでは雷鳴を鳴らしていますが、
 麓にはいつも作物によい雨を降らせているようなのが
 元帥です
」と。

上原元帥もただの「雷親爺」の側面だけで評価してはいけないな、と思いました。

だって「にんげんだもの」(By 相田みつをさん)

この記事へのコメント

うさぎの耳
2009年09月10日 10:58
真にその人のためを考えた優しさと厳しさが必要だということですね。

雷親爺は「慈父」だったのですね。

>上原元帥の奥様曰く
「山の高いところでは雷鳴を鳴らしていますが、麓にはいつも作物によい雨を降らせているようなのが元帥です」と。

名言です。私の辞書に戴きました。
2009年09月10日 21:07
ようやく私の紹介した言葉が、うさぎの耳様の辞書に載せていただけて嬉しいです。
でもそれは、私自身の言葉でなく、上原元帥の奥様の言葉です。こういう「先人の善き言葉」って文字からも伝わるものなんですね。そういう言葉をたくさん自分のものにしたいです。
うさぎの耳
2009年09月13日 09:36
上原元帥と今村兄弟の挿話は、元帥の人柄を示していますね。

上には厳しく、下には愛を!

「大人」ですね。

妙に丸くなって「人間には頭がありますから、争わなくてもいいんですよ」とすかしているのが「大人」ではないと私は思います。

真剣・愛情・誠実などを基に戴いた命を懸命に使用(使命)する人こそ「大人」だと思います。

上原元帥、そして貴エントリから、人にはいろいろな側面があるということを教えていただきました。
2009年09月14日 21:20
ありがとうございます。
私も上原元帥の別の側面に出会えたことがうれしかったです。普段接している人の違う側面に出会えたのと同じ嬉しさがあります・・・
こんなところが歴史の楽しさかもしれませんね。
>妙に丸くなって「人間には頭がありますから、争わなくてもいいんですよ」とすかしているのが「大人」ではないと私は思います

私などは「争い嫌い・事なかれ主義」なので耳に痛いですが
世の中、周囲からバカにされても、自分の思うことを実践されている方がいる。少しはその強さを見習いたいです・・・。
うさぎの耳
2009年09月15日 07:45
どなたの言葉かは失念しましたが

100人の人に誉められようとも、1人の正しい人に笑われないようにしなさい。
 
100人の人に非難されようとも、1人の正しい人に認められるようになりなさい。

という言葉があります。

真の強さというのは、この強さだと私は思いました。

同時にこれを実践できない自分がいるわけですが・・・
2009年09月15日 20:16
>真の強さというのは、この強さだと私は思いました。

同時にこれを実践できない自分がいるわけですが・・

本当にそのとおりです・・・。
実践できない自分を受け止めつつも・・・。
昔風に言えば「お天道さまが見ている」ということでしょうか。

また、2・26事件で青年将校の標的となり、銃で応戦して亡くなられた渡辺錠太郎大将の娘・渡辺和子さん(修道女)は、「父は、平和のためなら、自分の命を賭けても闘わなければいけない」と教えてくれましたとおっしゃっています。なぜ渡辺大将が標的になったか?自分の考えを正直に表明する方だったから。「天皇機関説は学説として認めてもいいはず。将兵は政治動向に右往左往せず訓練にはげめ」と講演した結果、在郷軍人たちからも青年将校からも攻撃を受け、辞職勧告を受け、最後は射殺による死・・・。強い方でした。

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