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<<   作成日時 : 2009/09/09 21:01   >>

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今から61年前の今日9月9日。

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ティモール島クーパンというところで、
オランダ軍による軍事裁判によって死刑判決を受けた
我が国の二人の軍人が刑を執行された日です。

いわゆる「戦争犯罪人」ということで・・・。

ポツダム宣言受諾後、

「第10項 われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える」
に基づいた軍事裁判によって亡くなられた方々は、

靖国神社では「昭和受難者」として祀られています。
さらに高野山の奥の院にも、
昭和受難者法務死慰霊碑」というのがあります。

高野山のはあまりメジャーではないようですね。
私は数年前に行きました。そういうのがあるとは知らずに・・・。
そこにしっかり、1,068名(当然武藤章中将のお名前もありました)の名前があったので
「静かにお眠りください」と手を合わせたことを思い出します。

私の『聖書』たる、『世紀の遺書』をひも解けば、毎日がどなたかの命日なのですが、
今日、特別に取り上げようと思ったのは、私自身にとっても強い印象があった方だからです。

この方については、ご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか?

前田利貴・陸軍大尉(享年31歳)の遺書です。

『世紀の遺書』257頁〜


絶筆
   
   山口、西条、笠間、楠本さん

親愛なる皆様、先ほどご親切なご激励の辞をいただき厚く感謝いたします。
  
大変面倒をみていただいた同胞も、金田さん(注、弁護士)も引きあげられ、
われわれは兄弟以上の間柄でありました。
一本のタバコも分けて吸い、助け合い、激励しあってきましたが、
いよいよ私たち二人(章姫注―穴井秀雄兵長とともに執行決定)
が先発することになりました。今までの厚情に対し、深く感謝いたします。

私の最後の希望として、もし4人のうち1人でも助かるならば、私たちの最後の状況をいつの日か
同胞に知らせていただきたい。またもし後からこられるならば、見通しの良い席を予約しておきます。
  
私の最後の希望として検事に申し出たことは
  
   1、目かくしをせぬこと
   2、手を縛らぬこと
   3、国歌奉唱、陛下の万歳三唱
   4、古武士の髪に香をたき込んだのに習い、香水一ビン(これは死体を処理するものに対する
     私個人の心づかいであります) 
   5、遺書、遺髪の送付

以上全部承認。当日私の決心は、
   
   
自動車から降りたら、裁判長ならびに立会者に微笑とともに挙手の礼をし、
最後に遺留品としてめがねを渡し、
それから日本の方を向いて脱帽最敬礼、国歌奉唱、両陛下万歳三唱、合掌して
「海行かば」の上の句を唱え、下の句を奉唱し、

この世をば銃声とともに「はい、さようなら」   
という順序にいくつもりです。
   
私のような凡人に、死の直前に歌が歌えるかどうか
これが最後の難問題だと思います。
皆様に対し、遺留品として、糸、針、古新聞、本(馬来語)、燐寸、何でも申し出に応じます。          
          
                                             前田

というのが有名だと思います。

靖国神社が発行している『英霊の言の葉』にも掲載されています。

私がこの遺書を初めて知ったのは、靖國神社(まだ新しい遊就館が出来る前)で
『英霊の言の葉』を読んだことがきっかけでした。

その後、『世紀の遺書』を入手することが出来、さらに
前田利貴大尉が願ったように、一人だけ、有期刑に減刑されて巣鴨に戻ることが
出来た方が、彼らの最期を詳細に書き記していることが分かったからです。

次回のエントリーは、前田大尉たちが、どのように死を受け入れたか、死刑確定者として
どのような生活をティモール島クーパンで送っていたかについて書きたいと思います。



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ある「昭和受難者」の最期A
前回のエントリーでは、前田利貴・陸軍大尉が、最期の数カ月をともにした 人たちに宛てた遺書を紹介しました。 ...続きを見る
軍人の道は一本道
2009/09/20 07:49

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コメント(8件)

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おはようございます。

前田大尉はもしや・・・

私の故郷(石川)に関係ある人かも。

戦死された方々、法務死された方々、そして今も外地で帰朝を求めている御遺骨。

忘れたことが多いような気がします。
うさぎの耳
2009/09/10 10:48
うさぎの耳さま

こんばんは

>前田大尉はもしや・・・
私の故郷(石川)に関係ある人かも。

そのとおりのようです。厳密には越中藩の前田家の血筋の方らしいですが。華族ですね。
石川での法務死された方の中には、河村参郎中将もいらっしゃいます。私はまだ彼の「罪状」について詳細に把握しているわけではないけれど(シンガポール華僑虐殺事件なるもので、とにかく「華僑を殺した」ことは確かで、治安維持のためということが中々伝わらず、人数とかでとらえられがちな部分です)
彼は広島でいきなり逮捕され、巣鴨からシンガポール送りになったのですが、その時に、少しずつ髪を伸ばしはじめ、もみあげの部分などを同じ戦犯の方に調髪してもらっていたということです。自分は罪人ではないということを示すため。裁判の時には普通の人のような髪型で出廷しています。
結局は、死刑判決が下され、死刑になる前に丸坊主となって、切った髪を家族に送ったのだそうです。切ない話です・・・。
こういう話がもっともっと出てくるかもしれませんね。
章姫
2009/09/10 20:56
法務死された方々は真面目な方が多いように感じます。

与へられた命を真剣に使はれた方たちなのだと思います。

ほとんどの方は無実の罪で刑場の露と消えられました。

日本軍人による犯罪があったことは否定しませんが、真に「犯罪」を犯した「真犯人」は真っ先に逃亡したでしょう。

だからこそ、前田大尉のやうな方たちが「見せしめ」として必要だったのだと思います。

英霊の皆様に合掌です。
うさぎの耳
2009/09/13 09:42
>英霊の皆様に合掌です。
本当に、おっしゃる通りです。
そして、
>与へられた命を真剣に使はれた方
のお言葉からは、本当にいろんなことが学べますよね。残された紙一枚に記された言葉からも声が聞こえてくるように思うのです。その言葉を聴きとれる力をお与えくださいと願っています。(よく、人から「何か取り憑かれて」いるんじゃない?と言われます。それを大切にしたいと最近は思っています)
章姫
2009/09/14 21:26
おはようございます。

善いものに取り憑かれたのではないですか(笑)

想いを読み取る・汲み取るという作業の必要性を切に感じますね。

私たちは想像力がなくなってしまったのかもしれません。
うさぎの耳
2009/09/15 07:36
>善いものに取り憑かれたのではないですか
かもしれません!
「ある者の身になって考えること、これが現代人の一番欠けているものだ!」と大学時代お世話になった史学概論の先生(西洋史の方で、マイネッケというドイツの保守主義的歴史学者の訳書を出していらっしゃる方です。旧制高校から東京帝国大というルートの方です。私はその先生から、「靖國神社には、私の死んだ友がいる」と教わりました。私に初めて靖國神社とはどのような場なのかを教えてくれた方です。
章姫
2009/09/15 20:21
そうですか。

先生にとって靖国の御社は友との再会の場なのですね。

改めて靖国神社の重要性を感じたお話です。

ありがとうございます。


明治天皇の御製

世とともに 語りつたへよ 国のため

命を捨てし 人のいさをを

忘れてはならないことですね。
うさぎの耳
2009/09/18 17:52
うさぎの耳様

「世とともに 語りつたへよ 国のため

命を捨てし 人のいさをを」

は時代や国を超えたものですね。
その「先生」は、このような言葉も残されています(この先生の講義だけは一生懸命聴きました)
「ヘロドトスは亡命者。再び故郷の土を踏むことはなかった。トゥキュディデスもペロポネソス戦争の敗者。ポリビオスも戦争捕虜。彼らの政治体験が歴史叙述に反映されている。司馬遷は宮刑・・・自己の体験から発する問いかけがある。実は私にもこのような体験がある。学徒出陣で軍隊に入り、捕虜となった。わたくしの講義学問の根底にはこれがある。歴史は単なる知識ではない。そんなのは皮相浅薄!諸君もわたくしのようなところまでいかなくとも、自身の内部から発する問いに目を向けよ!」と。
章姫
2009/09/18 18:41

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