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zoom RSS ある「昭和受難者」の最期A

<<   作成日時 : 2009/09/19 22:31   >>

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前回のエントリーでは、前田利貴・陸軍大尉が、最期の数カ月をともにした
人たちに宛てた遺書を紹介しました。

しかし、この遺書は、前田大尉が「自分がどのように死んでいくか」を
後に続く人たちのために残したものであり、
この遺書の文中にある「遺書・遺髪の送付」の「遺書」とは別のはずです。

最初に、肉親に宛てた遺書(これも『世紀の遺書』に掲載)を一部分、
ご紹介します。これはおそらく約束通りオランダ側から送られてきた
ものと思います。

 「親愛なる兄弟よ、そして未だみぬ妹たちよ
 兄 利貴は昭和23年4月29日天長節の今日、クーパン市における軍法会議の結果、死刑の判決を
 下された。取調べを受けたときから、私が将校であり、かつ又華族の子弟であり法学士であるために
 検事の「シェファー」中尉が非常に反感を持っていたので、今日あるを予期し、前もって遺髪を送った
 次第だが、兄の場合は現住民間の人望もあり、検事側の証人「ルジャタニヤ」も公判の時には証言を
 ぐらつかせていたので最後まで希望を捨てなかったが、やはりこのような結果になってしまった。
 事件の内容は、兄の弁護に立って下さった金田賢三弁護士殿によく聞いてください。
 只、兄は現在でこそ人も恐れる殺人鬼として死刑されるが、
 世の中にある殺人と殺人が違う事だけは明言しておく。又、その責任も決して兄にあるのではないのだ。
 また、兄の行為でもない。
    
  敗戦後、われわれがいかなる虐待を受け、またいかなる恥辱を受けたかも、すでに帰った方々から
 聞かれたことと思う。……(中略)
  
  現住民はみな、「前田は曲がったことのきらいなまっすぐな人間だ。善人であるから何とか助けてください」
  と嘆願してくれたのだ。いかに兄を極悪人なりと軍法会議で決定しても、一般の声は善人なりという。
  これだけでも十分ではないか。・・・・(中略)

  今日は、昭和23年(1948)5月4日火曜日です。死刑の判決を受けてから6日目です。
  隣の山口大尉殿は、早や三ヶ月にならんとしております。
  判決後、このように期間があるのは、全くつらいものです。
  その上悪い衛兵司令が来れば犬や猫のまねをさせたり、
  夜中に起こしてコンクリートの上に二時間も坐らせて悪口雑言をたたいたり、‘前に支へ’を長いこと
  やらせたり、彼らが我々の事を事件に取り上げてゐる以上の虐待を重ねていぢめます。
  そのために兄は字も忘れ、また手も痛くて思うように字も書けません。
  しかし、我々四人は「我々はどうせ死ぬのだ。この虐待は我々一身に引き受けオエバーにおられる
  同胞の人に少しでも虐待の及ばぬように!」と申し合わせて神に祈っている次第です。
   
  現在のわれわれは、一日も早く処刑されることを祈っている次第です。では皆様ごきげんよう。生前のご厚情
  を感謝いたします。」

※原文はかなりの長文なので、私の独断でカットしたり、文章を原文の意味を尊重しつつ現代の読みに
 置き換えたりしているので、原文に興味を持たれた方は、
 是非、『世紀の遺書』の原文に当たって、前田大尉の声を聞いてください。

※後述の『戦犯ー六人の死刑囚』の中に、前田大尉の経歴が少し記されています。
  それによると、学習院から法政大学に入り、卒業後は三井物産に勤務した経験もあるとのこと。
  前田大尉のお母様は三井財閥のご出身だということです。
  前田大尉は、馬術に長け、オリンピック出場候補となっていたらしいし、宝塚歌劇団の
  馬術教育にも携わっていたといいます。


話を戻しまして・・・

では、前回のエントリーでご紹介し、靖國神社発行の『英霊の言の葉』に掲載された
遺書はなぜ残ったのでしょうか?

それは、上の肉親あて遺書にも登場している「山口大尉殿」が減刑され、巣鴨拘置所にて
この書物を出版されたからです。

戦犯六人の死刑囚 (1953年)
飛鳥書店
南 不二夫

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私はこの本を神田の古本屋で何と500円で手に入れました。
何かの縁かもしれないですね。

この本はのちに改題され、『南海の死刑囚独房』として再販されています。

著者の「南不二夫」氏とは、上の遺書に登場する「山口大尉殿」こと
山口亘利・憲兵大尉」なのです。

表紙を開けると、このような頁があります。

画像


山口憲兵大尉が持ち帰った、ともに死刑囚として過ごした方々の指紋です。

バツが付けられているのは、無念にも処刑されてしまった方で、
バツが付けられていない指紋が、山口憲兵大尉のものなのでしょう。

最初、見たときはドキっとしました。

山口憲兵大尉は、少尉候補生21期ということだから、
「叩き上げ」で少尉となり、憲兵科の訓練を受けた
職業軍人です。
憲兵とは、軍隊内部の秩序維持などを任務とするため、人物としても
真面目であることが求められ、昇級するのが難しいけれど
軍隊には欠かすことのできない職務ということです。

東京憲兵隊本部、富田憲兵分隊長などを経て、昭和18年に第五野戦憲兵隊附として
フローレス島(蘭印=インドネシア)で任務に当たっておられた方です。

※「昭和受難者」の中には、山口憲兵大尉のように、現地で憲兵として活躍していた
方が3割いるということです。捕虜の管理なども任務であったため、敵国の軍人や
現地人に顔を知られていることが多かったためです。

次のエントリーこそは、前田大尉・山口憲兵大尉たちが、死刑囚としてどのようなことを
思いながら過ごしていたのか、またその中で私たちには見えない絆も生まれてきたのですが、
どういうものだったのかを見ていきたいと思います。






 

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コメント(13件)

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拇印の赤バツは衝撃ですね。

多くの苦労が偲ばれます。

前田大尉の遺書を拝読して改めて、人間には公私両面が必ずあるということを認識いたしました。

どちらかというと、私の面ばかりをみて「これが本音だ!」というような「暴露話」を好む傾向がありますが(私もその中に入っています・・・)、やはり人間には公的な面もあると思うのです。

前田大尉の2つの遺書は公私両面の葛藤を昇華された点においても評価されるのではないかと思います。

「公なんて無い!ただ私だけなのだ!」、「私を一切合財捨てて公のみだ」といういづれの立場も思考停止という点では同類。

「51対49」の法則は、人間様の智慧なのだと思いました。

うさぎの耳
2009/09/22 09:15
>「51対49」の法則は、人間様の智慧なのだと思いました
そうですね。
私も今回前田大尉の遺書に取り組みだしてから、前田大尉とその周囲の方々の対話を聴いてみたくなったのです。最初は紹介だけにしようかと思ったのですが、私自身が取りつかれてしまったようです。軍人は確かに強さが求められる・・・けれど内面はどうだったのか。自分の死をどう受け入れたのか。宣告されてすぐに執行されない苦しみとどう向き合っていたのか。それを学んでみたいと思います。よって、しばらく「前田大尉と戦友」のお話にお付き合いくださいませ。私は前田大尉の話をより深めてくれた山口憲兵大尉にも感謝しています。
章姫
2009/09/22 19:05
人はいろいろな人の支えで活きているということですね。

自らの職のみを「最高」と捉える人が多いのが気になるところです。

自分ではできない仕事を誰かが代わりにしてくれているからこそ、社会が成り立っているということを忘れたのかもしれません。

ところで山口大尉は生粋の軍人さん。

山口大尉が生活したであろう時代の

結婚したくない職業(女学生が回答)

1 陸軍士官
2 開業医
3 自営業者

だったそうです。

いつの時代も難しいもので。
うさぎの耳
2009/09/23 18:07
>結婚したくない職業(女学生が回答)

1 陸軍士官
2 開業医
3 自営業者

1は何となく分かりますが・・・でも陸より海の方が人気がなかったのでは?山口大尉は憲兵だからある意味、周囲から恐がられたかもしれません。。。開業医と自営業者は何ででしょうか?あまり戦争にいくこともなかったでしょうに。自営業だと傾くことがあったからか?
私は軍人(陸軍士官学校と海軍兵学校を出た優秀者)の婚姻関係に興味もってます。たとえば、武藤章中将の妻の父は、尾野実信大将(日露戦争で大山元帥副官兼参謀)だったし(実質武藤さんは「マスオさん」だったのか!)上原元帥の妻は野津道貫大将の娘だったとか(野津大将は上原元帥より頑固だったらしい)。田中静壱大将の3男は確か海軍の小林中将の娘さんと結婚しています。何だかこの繋がりは面白いです。正月でも「軍人」してなければならないのでしょうが、いつも「軍人」らしくを心がけていたから、あまり普段と変わらなかったのかしらんとも思っています。
軍人は意外に質素なんですよね。金持ちもいたけれど、それは実家が資産家なだけで。付き合い飲みで俸給が消えていってしまう人も多かったようです。だから「軍人ゆかりの場」に出てくる海軍村の家はわりと質素だと思います。
章姫
2009/09/23 21:10
初めまして!ブログ拝見させていただきました。
私のブログでは最強の記憶術についての記事を掲載しています。
きっと日常の役に立つと思いますので、ぜひ遊びに来て下さい☆
では、また遊びに来ます。
http://blog.livedoor.jp/skin_skin-aomori/
記憶術
2009/09/25 22:28
記憶術さま
ありがとうございます。こちらも遊びに行きますね☆
章姫
2009/09/26 14:20
こんばんは。

俗にいう「職場結婚」ですよね。

軍隊は濃密な人間関係が作られていますから、よくあったと思います。

前述の女学生が結婚したくないランキングの
逆もあります。

陸軍士官夫人が娘を結婚させたい職業

1 サラリーマン
2 学校教師
3 官吏

だったそうです。

陸軍士官夫人らのワースト1は陸軍士官でした。

いつの時代でも「安定した給料と生活」を求めるのではないでしょうか。

俸給の大半が飲み代に消えるのは今もそうですよ。
うさぎの耳
2009/09/27 17:28
>陸軍士官夫人らのワースト1は陸軍士官でした。
>俸給の大半が飲み代に消えるのは今もそうですよ
・・・何だか、「志は高く、熱く燃えよ」の方のお声が聞こえてきました。
「私は結構みんなに愛されているんですぅ。気配りするんですから。私を愛していないのはウチの家内だけです!」
章姫
2009/09/27 19:05
そして思い出しました。
山下奉文大将が、生涯を通して結構金銭的な悩みが尽きなかったことを・・・。
・まず、陸軍士官であり、陸軍省勤務が多いので、飲み会に付き合う回数が多いこと。
・妻の父(退役陸軍少将)の事業失敗により、妻の実家の金銭的面倒を見ていたこと。
・兄・山下奉表(ともよし)が海軍軍医少将を辞めて開業医になったのだけど、ほどなくして死去。甥4名の学費の面倒を見ていたこと。
・・・見事、陸軍士官・開業医・自営業の3つの大変さを実感された方だった!
山下大将は、財はなし、家庭もうまくいかず大変だったし、その上戦争、戦犯刑死と「不幸」尽くしだったかもしれません。でも、彼はたくさんの目に見えない「善きもの」も残してくれたと思っています。
章姫
2009/09/27 19:15
山下大将はご苦労されたのですね。

ワースト上位すべてに関わられたのですね。

富貴となっても驕らず謙虚に、貧窮しても卑屈にならず志高くという生き方を実践されたからこそ、「善きもの」を遺せたのだと思います。
うさぎの耳
2009/09/29 20:54
>ワースト上位すべてに関わられたのですね。

今回初めてこのことに気づかされました。
山下奉文大将とは長い!?お付き合いですが・・・(文章と写真のみだけど)。山下大将のお父さんは、高知で小学校の先生をしていたのだけど、「教師の変わりはいくらでもいるが、医者の変わりはいない」と言って、教師の職を辞め医者としての修業を積んだかたです。父親が不安定な時に、大将は生まれたのです。
そして、大将の兄も海軍に入ったのは、家にお金がなかったからだと思います。そして軍医少将まで行ったので、お金も出来たから開業しようとした志半ばで亡くなられたはず・・・。
・・・日々の生活は大変だったかもしれないけど、山下家の男子は信念を持っていたんですね!改めて気付かされました。ありがとうございます!
章姫
2009/10/01 19:47
人は一代 名は末代

と前田利家公は言われています。

前田大尉のご先祖様ですね。

肉体は一代で滅びてしまうが、その名声・悪名は後々の世まで語り継がれるということです。

山下大将は名声の方を遺されましたね。

やはり信念の賜物でしょう。
うさぎの耳
2009/10/03 16:39
>人は一代 名は末代

と前田利家公は言われています。

前田大尉のご先祖様ですね

上手い!締め方をしてくださってありがとうございます。実はあまり戦国大名詳しくないもので・・・(歴女とは言えない?!)
本当に山下大将の違う面に気づかせていただきました。ありがとうございました。
章姫
2009/10/04 22:32

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