軍人の道は一本道

アクセスカウンタ

zoom RSS ある「昭和受難者」の最期B 六人の死刑囚

<<   作成日時 : 2009/10/19 19:30   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

再び、「昭和受難者」シリーズに戻ります。

では、前田大尉は「戦犯死刑囚」としてどのような生活を送っていたのでしょうか?

その前に、この「六人の戦犯死刑囚」について、お一人ずつご紹介したいと思います。

出典:南不二夫『戦犯 六人の死刑囚』(飛鳥書店 1953)より

戦犯六人の死刑囚 (1953年)
飛鳥書店
南 不二夫

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


第一號 山口亘利(憲兵大尉)

昭和23(1948)年2月18日死刑判決。同年12月8日減刑を言い渡され、
バタビアを経て巣鴨拘置所で刑期を過ごすなかで、
変名「南不二夫」として、『戦犯 六人の死刑囚』を著す
六人中、三名の最期を見送ってきた

第二號 穴井秀夫(陸軍兵長)

昭和23(1948)年3月上旬、死刑判決を受ける。同年9月9日刑執行。大分県出身。享年30歳。
彼の裁判の弁護人は、オランダ軍の中尉だった。
これは、

小学校2・3年程度の日本人の通訳で日本人の弁護人が通訳するよりも、
オランダ人が弁護士を務める方がよい

と、ウエステンドロップというオランダ側の取調官に言われたため。
この男は、元大阪外語の教授を務めた男でもあった(その当時は「西村」と名乗っていた)


第三號 西條文幸(海軍警部)

昭和23(1948)年3月22日死刑判決。昭和24(1949 )年3月1日刑執行。
宮城県出身で、警察官だった。享年45歳。
心臓を患い、悪性のマラリアで苦しんでいた。
前出のウエステンドロップに
情状酌量するが、余命いくばくもないから死刑を言い渡す」と言われた。


第四號 前田利貴(陸軍大尉)

昭和23(1948)年4月29日(天長節)に死刑判決。
第二號・穴井秀夫兵長とともに刑執行。享年31歳。
鎌倉市出身。加賀前田氏の後裔でもある華族。

第五號 笠間高雄(憲兵曹長)

昭和23(1948)年6月23日死刑判決。スンバワ憲兵隊の特高主任として、
「計画的・組織的テロを起こそうとした科」として判決を受けた。
翌24年3月1日、「第三號」西條文幸警部とともに刑執行。享年32歳。
 『世紀の遺書』174頁に遺書掲載

第六號 楠元信夫(陸軍伍長)

昭和23(1948)年7月7日死刑判決。通訳として3つの事件で起訴
(うち2件は、憲兵隊に臨時通訳として関与したもの。1件は中隊宣撫班通訳として)
マレー語が上手で、通訳として現地の人に顔を知られていた
☆この点は前田大尉も同様。
 公判は1時間半で検事の求刑まで終了
 同年11月11日刑執行。享年28歳。
 『世紀の遺書』206頁に遺書掲載。

この6名の死刑囚の中で山口亘利・憲兵大尉だけが終身刑に減刑されました。
『世紀の遺書』には、確かにそれぞれの肉親にあてて、自分の叫び、思いを伝えようとし
ているのが痛いほど伝わってきます。

山口憲兵大尉は、皆が一様に
この中で一人でも生き残って祖国の人々に悲痛な気持ちを知らして欲しい

といっていた事を思い、

今後、死にまさる苦難が続くとも、荊刺の道を踏み越えてこの状況を
何らかの方法で知らせねばならない、という責任感
から、この本を書かれたのです。

国民の「戦争犯罪人」についての捉え方は、
「お国のための犠牲になられた方」と
思ってくれる人だけではなく、釈放後の差別など、心ない仕打ちも
あったのです。

確かに、軍としての悪事はあったでしょうが、
自分がもし、その立場だったらどうしたのか?

私なら、自分の性格上、おそらく命令通りに実行しただろうし、
不器用なところが多々あるゆえ、
戦犯に名指しされていたかもしれない、と思うのです。
もし、部下がいたとすれば、「オレが一人で背負う」と意気込みながら、
裁判中、「わが身可愛さ」が出て、部下まで巻き添えにして死刑判決を受けるタイプだと
思うので、どうしても、裁くことができないのです。

それぐらい、私は、ずるくて、弱くて、小さくて、卑怯な人間ですから。

※小学校5年の時、クラブの練習中、先輩と遊んでいたのが先生にバレ、
先輩たちは皆、ビンタをくらっていました。(体罰をしたのは女性の先生でした)

私は両親から体罰を受けたことがないので、恥ずかしながら
ブルブル震えてしまったのです。
先輩たちは、誰一人泣く人もなく、先生のビンタを受けていたのに・・・。
私を指導して下さった先輩は、強い方だったので先生の覚えが特に悪く
10発ぐらいビンタをくらっていましたが、涙一滴こぼさず耐えていました。
あとで、先輩たちに「お前はいくじなしだ!」と言われたことを思い出すのです。

こんな「ずるくて、弱くて、小さくて、卑怯な」私なりに、読んでいきたいと思います。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ある「昭和受難者」の最期B 六人の死刑囚 軍人の道は一本道/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる