「あまり気にしないで下さい。これでいいんですよ。」

今から60年前の今の時間

私のハンドルネーム(章姫)に一字頂いている方含め、7名の方々は、
自身の死とちょうど直面されていたのでは?と思います。

私自身が武藤章中将と出会ったきっかけは、熱海にある伊豆山神社のついでに
興亜観音へと足を延ばしたことだったかもしれません。
(ここに「A級戦犯」として処刑された方の遺骨が一時置かれていた。
松井石根大将の自宅近くだったということです)

なぜかそのあと、不思議なほど、武藤中将関係の書物と出会う機会が
多くて、一方的に親しく?!させていただいております。

武藤章中将著『比島から巣鴨へ』(実業之日本社 1952)の帯にこんな一文があります。

「比島(フィリピン)における山下将軍と共に歩んだ苦難の道・・・その渦中にあった一軍人の
運命を語る。
これは歴史の書であるとともに、人間の書でもある」

この武藤中将の著書から多くのことを学ばせていただいておりまして、
お礼を直接申し上げたいけれど、それがかなわないのが悲しいです・・・。

今回のタイトル「あまり気にしないで下さい。これでいいんですよ

これは、武藤章中将が、昭和23(1948)年11月12日に死刑判決を受けた際、
隣で警護に当たっていたケンワージ憲兵中佐に言った言葉です。

ケンワージ憲兵中佐自身は、武藤中将に対する「死刑」という宣告を聞いた時、

「私の両脚はがくがくと震え、真っ暗になるような気がした。自分の耳を疑った。
裁判長の宣告を聞き間違えたのではないかと思った。
私は裁判が始まってから、ずっと彼(武藤)の罪は軽いと信じ、
死刑などは夢にも考えていなかった。
私は彼を何と慰めていいのか、言うべき言葉を知らなかった・・・」と。

かえって武藤中将から、今回の題名の言葉をかけられたという次第だったのです。

ケンワージ憲兵中佐と武藤中将とのつきあいですが、

山下大将と、武藤中将がバギオで降伏した時、昭和20(1945)年9月2日からでした。
ケンワージ憲兵中佐は、捕虜となった山下大将・武藤中将の警護に当たる任務だったのです。
山下大将の軍事裁判が始まると、今度はマニラの監房での警護に当たりました。

ケンワージ憲兵中佐は、山下大将を「英雄」として尊敬していたので、
部下たちに、「大将に対し、失礼な言動はしないように」と厳しく訓示していたということと、
暑いマニラでの夜を少しでも山下大将たちが過ごしやすいようにと、気配りもしてくれたという
方でした。

東京裁判が始まると、今度はこの憲兵中佐、日本に赴任することになります。
そこでまた、偶然にも、今度は被告となって起訴された武藤中将と再会し、
親しくしていたようです。
3年もの長い付き合いとなりました。

というわけで、武藤中将については、「28名の被告のうちで、最も親しくしていた」と
言っています。

(参考文献:S・ケンワージ「米憲兵隊長、市ヶ谷の記録―私の見たA級戦犯の人々」
 『文藝春秋』昭和28(1953)年1月号)

山下大将が死刑判決を受けた時、

「私どもの努力が足らなかったため、こんな結末となり、
まことに申し訳ありません」と涙を流していた武藤章中将ですが、

ご自身が、ついに山下大将と同じ運命を辿ることになった時は
警護の憲兵に「これでいいんですよ」と言葉を返した・・・。

私はその武藤中将の姿に心を打たれました・・・。

武藤中将も、陸軍の高官なのだから敗戦の責任をとって死ぬべきだ、という意見も
あるでしょうが・・・。


只今、午前0時を少し過ぎました・・・。

今回は、武藤章中将他、死刑になられた方々のご冥福を祈りつつ、

武藤章中将のあまり知られていない面をご紹介したいと思います。

指揮官としての武藤章中将」はどのような姿だったのか


☆武藤章中将(近衛師団長時代=在スマトラ)

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武藤章中将は、ご自身でも言われているように、

軍人生活の大部分を「参謀」として過ごして来られました。

実は指揮官をしたことがなかったのです。

中隊長、大隊長(病気のためになれず)、連隊長、旅団長という職の経験がないまま

昭和17(1942)年4月、陸軍省軍務局長から近衛師団長(在スマトラ)に補任されます。

武藤中将にとって、初めての指揮官が、「師団長」だったのでした!

参謀としては評価が高くても、指揮官としては評価が芳しくない方もいるようですが、

武藤中将は、指揮官としても有能だったのではないか?と思うのです。

前回のエントリーで、うさぎの耳さまが教えてくださった
「指揮官の二つの責務」をご紹介します。

① 国家から命じられる任務遂行の責務
   戦争目的を達成するために組織や人員を最大限活用

② 部下の生死の結果に対する責務。
   任務遂行といっても徒に兵士を損なうことは許されない
   同時に無闇に愛するのも避けないとならない

武藤中将は、この二つの点において、近衛師団長(のち近衛第二師団長と改称)として
十分に責務を果たせたと評価できると思います。

まず、①について

日本本土と同じぐらいの担任面積があるスマトラを陸、海、空からも点検し、
周到に陣地構築に努力していた。
地上からの点検では、軽機関銃の位置までも検討して歩いたとのこと。
食糧についても、食塩、乾魚、ハムなど持ちのよいものを製造させ、
敵からの攻撃に備えていた。

在留邦人についても、任務を与えたし、
接客婦(これが現在において「慰安婦」と言われている)
についても、何と看護婦教育をしていた
この看護婦教育は、のちに武藤中将が第十四方面軍参謀長になってフィリピンに赴任した時も
実施しました。
いろいろ理由があって、日本に帰りたくないという女性にとっては、むしろありがたいものだったのでは
ないかと、私は思います。

武藤中将自身も、副官に「戦争は負けた。しかし我々のスマトラは負けぬ」というほどの自負もあったし、

近衛第二師団の上級司令部である第二十五軍司令官・田辺盛武中将も、武藤中将のこの処置を
高く評価していました。(今岡豊・陸軍大佐の証言『軍務局長武藤章回想録』)

②について

武藤中将が師団長として赴任した時のスマトラの空気は、

軍隊も、在留邦人たちも「戦争に勝った」と信じており、
武藤中将からすると、「将来に対する危機感が足らない!」
と思う事が多々あったということです。

それをほっておく指揮官もいるかもしれません。
隷下部隊から好かれていた方が仕事がやりやすいし、
またどこかに転任のチャンスがあるかもしれない・・・。

または、「戦争に勝った」という軍隊の空気を利用して、
指揮官としての職務を果たしている「つもり」にもなれそう・・・。

武藤中将は、そうした「誘惑」をはねのけ、
自ら憎まれ役を買って出ていました

だから隷下部隊にしてみれば、武藤師団長が教育計画を発表すれば

もう戦争は勝ったのに、何で?」


「近衛(第二)師団は、伝統ある帝国陸軍を代表する師団で、
シンガポール攻略戦だって戦果をあげているのだから、負けるわけがない!」

と猛反発があったようです。(武藤中将の副官の告白より)

ひどいのになると、「新しい師団長は、仕事をしないとならないから、
面倒くさい教育計画なんぞをつくっているのだ!」と言う声もあったとのこと。

そういう悪口の中で、武藤中将は、師団司令部よりも第一線部隊視察を
入念にしていたのでした。ほとんど司令部にいなかったということです。

武藤中将が部下に示した訓示は

・平素訓練を怠るものは、一見部下を可愛がるようだが、一度敵と遭遇すると大損害を蒙る。

 「平素の一滴の汗は、莫大な血の節約

玉砕は自殺行為である!軍人が戦場に臨むことは確かに死を覚悟するものであるが、
 準備もせず、玉砕をするのは不忠の最大なるもの!

このことを、事あるごとに部隊に徹底させていました。

その「意志の強さ」はもっと評価してもいいのではないでしょうか?

武藤中将が示した「意志の強さ」が、結果として部隊全体の考え方を変化させ、
スマトラは被害が少なかったのですから。

よく軍人として大切な素質の中に「意志の強さ」が挙げられますが、
この武藤中将の具体例を見ていくと、指揮官の意志の強さは本当に
部隊に反映されるものだと思いました。

以前に挙げた「若き田母神空将を怒鳴り続けたU隊長」

※ http://tenhouinaki7.at.webry.info/200908/article_1.html を参照

彼のような人が近くにいると、正直嫌です・・・。

でもこういう人こそ、実は「よい指揮官」なのかもしれないですね。


武藤章中将の命日にあたるので、どういうエントリーにしようかと思いましたが、
今回は、武藤中将の指揮官としての姿をご紹介することにして、
ご冥福をあわせてお祈りしたいと思います。

そして、どうか、日本をお守りください!とも。


ところで、武藤中将の御遺骨は、他の方のものと一緒になってはいますが、
何とか故郷・熊本(阿蘇)で安らかに眠られているようです。

私の「師匠」のお一人でもあり、「田母神論文と自衛官の名誉を考える会」でお世話になっている
「因幡の白兎」さまが、偶然にも紅葉狩りに行かれて、その写真を見せてくださいました。

すばらしいお写真でしたので、ここでもご紹介させていただきます!

武藤章閣下!どうかこのお写真をご覧くださいませ!

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九酔渓の紅葉(大分県)


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菊池渓谷の大木
(枯れている木ですが、何か雄大さを感じさせられました!)





この記事へのコメント

うさぎの耳
2009年12月31日 14:45
こんにちは

いよいよ平成21年も終わりますね。

今年は章姫様には大変お世話になりました。ありがとうございました。いろいろとご教示いただいたこと感謝いたします。

来年もよろしくお願い申し上げます。

今回も力作ですね。

武藤中将の指揮官としての側面はあまり注目されていなかったと思います。私も初めて知りました。

>ひどいのになると、「新しい師団長は、仕事をしないとならないから、面倒くさい教育計画なんぞをつくっているのだ!」と言う声もあったとのこと。

これはよくあることです。今でもありますから。

何も個人的功名を狙って訓練や教育を計画する人は居ません。「面倒くさい」のは上も下も同じですから。できるなら現状を変えないまま放っておいたほうがお互いに楽ですし。

軍隊は典型的な官僚組織ですから、現状を

自分で変えない
他人に変えて欲しくない

という方向に動きがちです。ただ一方では情勢や技術の変化に対応しないといけない柔軟性も求められます。

硬直性と柔軟性が同居する難しい組織と言えるかもしれません。

うさぎの耳
2009年12月31日 14:47
続き(長くてすいません)

>武藤中将が部下に示した訓示は

・平素訓練を怠るものは、一見部下を可愛がるようだが、一度敵と遭遇すると大損害を蒙る。

「平素の一滴の汗は、莫大な血の節約」

・玉砕は自殺行為である!軍人が戦場に臨むことは確かに死を覚悟するものであるが、
 準備もせず、玉砕をするのは不忠の最大なるもの!

このことを、事あるごとに部隊に徹底させていました。

まさにその通りです。普段からの訓練が非常時での生死を分けます。実戦では訓練以上のことは出来ません。
 訓練で個人の力を超える部隊としての一体感や能力を高めておかないと、自暴自棄になって死に急ぐことが多くなるそうです。

兵士の命を守るための訓練であることを忘れてはいけないですね。

「勝ったからもう訓練しなくてもいい」「戦争なんて絶対に起こらないよ」と考える軍人さんが多いことは、国民にとっては大きな不幸ですね。

法務死された方々に合掌
2010年01月01日 15:43
うさぎの耳様
新年明けましておめでとうございます。

私こそ、うさぎの耳様には軍事の面に関して
いろいろ教えていただいたことに感謝申し上げます。本当に奥が深い世界だと・・・。

>硬直性と柔軟性が同居する難しい組織と言えるかもしれません。

私など、自衛隊を知らないまま資料を思いめぐらして書いていますが、本当に「難しい組織」ですよね。人間相手であることと、目に見えないものを相手にしているから・・・。
そういう組織は教育だってそうではないか!と思いますが、教育の世界ならば、命まで失う危険はあまりない(はず)ですが(本当は結構あります・・・)、軍隊は、平時であっても訓練中の事故などで、実は一番死と隣り合わせである組織ゆえの大変さがあるはずと思いました。

階級の世界ではあるけれど、実はある部分では階級を超えた団結力が大切な組織だと思いました。




2010年01月01日 15:57
>実戦では訓練以上のことは出来ません。
 訓練で個人の力を超える部隊としての一体感や能力を高めておかないと、自暴自棄になって死に急ぐことが多くなるそうです

・・・私は自衛隊で訓練を受けたことはないですが・・・。小学校のクラブ(音楽)での経験から察することはできそうです。
私がいたオーケストラ部は、優勝常連校でした。皆、昨年も取れたのだから今年も取れるという根拠のない自信がありました。しかし、取れなかった・・・(下級生の時)。それ以降は本当にズルズルと・・・。私自身が上級生としての責務を果たせていなかったという・・・・。これが音楽だからいい(実際は軍隊ならば、責任とって死ね!だと思う)けど、本当の軍隊ならば・・・。そういうことを思い出しながら武藤さんのこの記事を味わうと、指揮官の大変さを痛感するとともに、「では自分が武藤さんの立場だったら?」と置き換えると、きっと「勝利の雰囲気に流され、敵よりも隷下部隊からの受けを気にしていた」かもしれない・・・。
そう思うと、武藤章中将ってすごい軍人だったのだと思いました。
私自身も、山下・武藤将軍などの歴史上の方々に教わりながら、がんばりたいと思います。
本年もお世話になります。よろしくお願い申し上げます
うさぎの耳
2010年01月22日 14:06
章姫 さま

あけましておめでとうございます。ではなくて寒中お見舞い申し上げます。

こちらこそ、多くのことを教えてもらっています。ありがとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

軍隊という組織は、最初から人的損害を予定に入れた組織です。

国家から命じられた任務を遂行する以上、部隊から誰かがいなくなることを予定しています。

警察や消防でも仕事をする上で亡くなられることはありますが、あくまでも想定外のこととして認識されます。

すでに死が予定されているという厳しい組織ですね。
2010年01月23日 00:09
>軍隊という組織は、最初から人的損害を予定に入れた組織です。

国家から命じられた任務を遂行する以上、部隊から誰かがいなくなることを予定しています

本当に厳しい組織だと思います・・・。
お医者さんと同様に、結構ドライで、冷静ですよね。死の捉え方が。
戦国時代あたりなら日本の庶民層もそれぐらいドライだったといいますが・・・。戦死者の死体処理は儲かると農民たちが言っていたぐらいです。

大東亜戦争中の指揮を見ても、司令官が亡くなった場合の引き継ぎにしてもわりとドライだと
(当たり前でしょうけど)思ったことがあります。気持ちの切り替えがはっきりしていると思いました。指揮官の方々が。例えば山下大将は、大東亜戦争反対だったけれど、一度命令を受ければ、指揮官として実質上の突撃を命じることを淡々と行っている。こういう面が実のところ私などは「感情を入れて」見てしまう傾向にあるので、つくづく相手の立場になって考えることのむずかしさを痛感してます。

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