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zoom RSS 上原元帥の部下教育

<<   作成日時 : 2009/09/07 22:09   >>

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前々回のエントリーで取り上げました「親爺
上原勇作元帥は、軍人の中でも読書家として知られていました。
上原元帥は、東京帝国大学の前身、大学南校を中退したあと、陸軍士官学校に
入校し(旧三期生で首席卒業)フランスに留学経験を持っています。

その上原元帥の部下教育はどのようなものだったのでしょうか?

それは、上原元帥の目から見て「これは!」と思った若い者を
休日に自分の自宅、別荘に呼びつけて、徹底的に軍事知識や歴史などに
ついて「つっこむ」というものです。

その標的になったのは、誰だったでしょうか?

一人は、この方です。

画像


一発で分かった!という方はすごいと思います。

後年の姿です。

画像


そう、あの本間雅晴・陸軍中将なのです!(1887−1946.4.2)
フィリピン攻略戦でマッカーサーをオーストラリアに追うという「殊勲」をあげながら
大本営に評価もされず、退役させられ、「ポツダム宣言受諾後」は、マッカーサーから
真っ先に戦犯に指定され、マニラに護送され、裁判にかけられ処刑されてしまった方です。

この方は、小さい頃から「泣き虫・気が弱い・喧嘩をしない」ような人で、
文章が上手く、「雅晴さんは、軍人にならなければよかったのに・・・」と
周囲から言われていたようです。
そういう方が時として、マッカーサーをフィリピンから追い出す殊勲をあげられるぐらいの
「奇蹟」を起こすことも、歴史の「不思議」ですよね。

でも本間中将は学校の成績は士官学校(19期・中学卒で入校)でも、陸軍大学校(27期)でも
優秀な成績を収めたという方なので、上原元帥の目にとまったようです。

本間中将が大尉〜少佐のころのある日曜日、さっそく上原元帥から鎌倉の別荘に来るようにと
あり、行くと・・・鎌倉見物をさせてもらえるどころか、いきなり「つっこみ」がはじまったようです。

※本間中将は1918〜21年までイギリス駐在武官でした。
このころの本間中将は、プライベートでも離婚問題を抱えており、イギリスで
自殺未遂まで起こしたらしいです。心身ともにボロボロながら、何とか子どもを
養うために、辛うじて軍人を続けていた、というのが本心だったようです。

上原:「三年間のイギリス駐在で、イギリスの最も良いと感じたところ、最も悪いと感じたところは?」

本間:「良い点は、紳士道といいましょうか、実に礼儀正しいところです。
     悪いところは、他国のことを学ぼうとしない点です」(・・・何とかつっこまないでくれ

上原:「君は3年もおって、まるで逆に見ている
    英国の紳士道というのは、国内だけの話。国際間のことになると、完全に非紳士的だ!
    目の前の香港をどうして手に入れたか。インドをどう統治しているか!
    敗将ナポレオンをどう取り扱ったか。アフリカ土人をいかに奴隷として売りさばいたか!
    君はそれでも英国民を紳士的というのか

    また、英国の悪いところは保守だという。英国は外に対しては、あのようにおおっぴらに
    不作法な利己主義をふるまいながら、国内では全英人の団結保持のため、おおいに
    国粋と民族の優越性とを説いてやまない。この保守こそ、大英帝国を堅持している唯一の強みと
    いえる。しかも保守の内容を検討してみたまえ!英国のような進歩的な民族が、どこにいる。
    蒸気機関の発明、鉄道の建設、社会施設の改良、議会制度など、みな他国よりも一歩も二歩も
    先に進んでいる。
    現に将来列国軍がそうなるであろう軍の機械化でさえ、英国は先鞭をつけているではないか!
    君はもう一ぺん、英国の歴史や英民族の性格を研究しなおさなければいかん

・・・本間中将(当時は大尉〜少佐)も、
精神的に参っていて、さぞ、ゆっくりしたいであろう休日にとんだ目に合われたものですね。

もう一方は、この方です。

画像


今村均(いまむら・ひとし 陸軍大将 1886−1968 陸軍士官学校・陸軍大学校ともに、本間中将と同期で仲が良い。なお、陸軍士官学校第19期生だけは中学校卒業生のみを採用。だから少し「違った」雰囲気があったようです。)
この人もまた、大東亜戦争初期のジャワ島攻略戦の時の第16軍司令官として有名です。
わずか9日間でオランダ軍を降伏させた将軍です。

今村大将も、最初はこの上原元帥のことをあまり良い印象では見ていなかったようです。
それは、見習士官の時の連隊にやってきて、今村さん自身が親のように慕っていた
連隊長を叱責したのを目の当たりにしたからです。そう、前々回のエントリーの如くだったに
違いないですね。

今村大将が、この元帥と2度目に直接会った印象も
「私のいうことを聞くよりは、聞かせる方が主であり、しかも一向に言葉を飾らず、
つけつけと責めよせる
 
老人というものは、どこかに寛容のところがあるものなのに、この人のどこにもそれが感じられなかった」

というものでした。

このときは、本間さんとともにイギリス駐在武官をしていた今村さんの英軍隊附報告書についての
つっこみであったようです。
結構な分量なのに、それを全部読んでいて、実に細かいところまで突いてきたらしいです。

今村さんが「〜だと思います」と応答するや
上原:「思いますというのは、君がそう思うという意味か?」
今村:「さようであります」
上原:「そうじゃない。なぜイギリスはフランスと違った軍の編制をしているのかと聞いているのだ」
今村:「双方が、なぜ別々の編制にしているのか、両軍の主義を確かめておりません」
上原:「君は第一次世界大戦中から戦後にかけてあちらにいたのだ。
    英仏軍についていた従軍武官とは、しばしば会っているだろう。
    あのような激戦を経験しなかった
日本軍の将来の歩兵編制をどうすべきかに考え及んだなら、
    すぐこの点を聞きだしておくべきだった。
それを確かめなかったのは手落ちだ!・・・

    (まだツッコミは続く・・・キビシイ・・・)

でも、本間・今村両将軍とも、結局上原元帥については

「自分たちの書いたものを本当によく見ていてくれ、そして陸大の教官などに引き立ててくれたのだから、
 えらい親爺だ」というところに落ち着いたようです。

そう、上原元帥も、こいつは、と思った者を徹底的にしごき、そのしごきの成果を他の者に広めていくやり方で
国軍を強くしようと考えていたようです。

今村大将・本間中将は、大東亜戦争前後の混乱の中で冷静に日本と他国とのあり方に
思いを巡らすことができた将軍だったと評価されてもいるところには、こうした若いころの
しごきがあった、と言えると思います。

参考文献

今村均回顧録
芙蓉書房出版
今村 均

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
雷親爺の本領発揮ですね。

翻ってみると今の自衛隊では「絶滅危惧」の人たち。

国を愛し、組織を愛し、人を愛することが無いのかもしれませんね。

田母神さんが獅子吼しなければいけないほど自衛官には「国を愛する心」が少なくなったのかもしれません。

制服はメシの種ってことでしょうかね。残念ですが・・・
うさぎの耳
2009/09/10 10:51
>田母神さんが獅子吼しなければいけないほど自衛官には「国を愛する心」が少なくなったのかもしれません
本当に悲しいですね。自衛隊ではそうではないと思っていましたが・・・。
制服は飯のタネでもかまわないけれど、
「タモちゃんの49対51の法則」であってほしいと思うのです・・・。
今のタモちゃんは、忙しすぎてお疲れのようで
本当に心配です・・・。
雷親爺のような人は、旧軍でも少なかったようですね。山下奉文大将なんかは、旧制高校を受験する甥っ子さんをやりこめるだけの知識をもっていらしたけれど。
でも自衛隊に関心を持つ人は増えたのではと思います。そういう人の中から雷親爺が復活することを!
章姫
2009/09/10 21:04
志操などを意識化して行動できるのはごく一部だと思います。

大半の人は

毎日テレビが見られる

毎日ご飯が食べられる

毎月、お金が手に入る

で満足しています。

それはそれでいいと私も思います。ただイザというときに上記3つだけというのが困りますね。

何も無いときに最悪の状況を考えることは難しいのは事実ですが、それを考えるのが軍事組織の命題なわけですし。

いづれにしても「教育」の大切さは古へより変はらないやうですね。
うさぎの耳
2009/09/13 09:29
うさぎの耳様
私も「大半の人」ですね。モロに。
別にテレビはなくてよくって、ネットがあればそれでいいですが!
この雷親爺の凄いところは、平時においてもこうして若い有能な軍人を育てた(派閥だという向きもあるようですが)ところですね!
この雷親爺の書斎を見てみたいなんて思ってしまいました!書物が山積みだったのでしょうね。
章姫
2009/09/14 21:14
私も普段は大半の人です。

組織や制度を構築しても、動かす人が能力不足だとうまく機能しませんね。

>この雷親爺の書斎を見てみたいなんて思ってしまいました!書物が山積みだったのでしょうね

「軍人の書斎」という企画はどうでしょう。自伝や周囲にいた人の出版物から読んでいた本を紹介とか。
うさぎの耳
2009/09/15 07:41
>「軍人の書斎」という企画はどうでしょう。自伝や周囲にいた人の出版物から読んでいた本を紹介とか
そうですね。昔の軍人さんがどんな本を読んでいたのか?もう絶版物も多いでしょうけれど。
興味深いですね。
武藤章中将は、若いころ、マルクスの『資本論』を読んでいたので、左翼系の人たちとも付き合えるだけの体力と知力があったといいます。(矢次一夫氏による)そして、ビスマルクを尊敬していたようです。大東亜戦争突入以前の難局を軍務局長として孤立無援で闘えたのは、ただの精神論だけの人ではなかったということと、書物や人づきあいの幅が広かったからだと思います。中々本をゆっくり読んで、自分のものにするのは難しいけれど、それも一種の体力づくりかと最近思うのです。
章姫
2009/09/15 20:05

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