再訪・江戸川水閘門

今日は、「江戸川水閘門」(えどがわすいこうもん)に再び行ってみました。



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再び・・・というのは



実は東日本大震災の日にお世話になった場所(の一つ)として
私の中で印象があった場所だったのです。



大震災の日。


私は勤務先にいました。


今まで体験したことのない揺れと、何が何だかわからないまま、
とりあえずビルにいた人間は近くの駐車場に避難しました。

不安な気持ちであった一方で、窓ガラスが割れていないのを見て
「何とかなる」と自らに言い聞かせて振る舞っていたように思います。



しばらくして、ネット上で「JR・私鉄とも運休」なる情報が入ってきて、

何と職場では私だけが「帰宅困難者」となってしまいました。

他の人たちは、自宅まで努力すれば1時間で帰れるとのことで、
私は職場から締め出され(それは仕方がない)、
ビル内で寝ようと決め込んで、ビル内のコンビニで一応の買い物(といっても
もう品数はすくなかった)をし、一晩を過ごすつもりでいたのですが、

できれば安全面からも、ビルからは出てほしい(築40年)」

と言われ、とりあえずタダで休ませてくれる場所はないかと探していました。


都内だったので、ホテルや大学・公立学校などが場所を提供してくれていることを、

私は「twitter」で
知りましたが、どこも電車で5駅はあるところばかり。

その場所についたら倒れるだろう!


また、私自身が不安だったのが



千葉県に帰るためには、川を4つ渡らないといけない」ということでした。

どんな方法があるのか?

本当にわからないまま、都営線の駅まで歩いたところで「ツイッター」を見たら

浅草線は浅草橋まで運行している
ことを知りました。
とりあえず電車に乗るしかないと、電車に乗り込んでもなかなか発車せず、
窒息しそうなほどの苦しさでした。


それでも必死にツイッターを見ていました。


そうしたら、私の前に座っていたカルチャーセンター帰りの女性たちがいました。

彼女たちから、「ねぇ、今どうなっているの?○○まで電車いっているの?」と質問されたので、

答えられる範囲で答えました。
・この電車は浅草橋までしかいかない。
・東京メトロはよくわからない
・JR・私鉄は今日運行しない

だから、私は千葉ですが、歩いて帰るしかないようですので、浅草橋から歩けるところまで
歩いて、両国高校ぐらいで休ませてもらおうと思います
(私の体力では、何とか浅草橋から都立両国高校までは歩けると思っていた)

と。

そうしたら、一人の方が、「私はあなたについていくわ!一緒に帰りましょ!」と言ってくれたのです。


おそらく私の母ぐらいの年齢の思いました。


彼女はとにかく歩くのが速く、私も負けないようにと頑張ってついていきました。

最初の隅田川を越え、荒川・中川を越える時などは、自動車よりも(大渋滞だったので)
私たちの方が速かったのです。

あとは江戸川だ・・・。


まだか?まだか?

足が痛い・・・。でもここで休んだら動けなくなるという恐怖。

道が国道からいつのまにかそれて、都道に入っており、
総武線の線路近くを歩いているのではないらしい・・・。

江戸川はまだか・・・?越えれば千葉に入るけれど、
その後どうしよう・・・。帰れるだろうか?


そんな不安が時折よぎりながら、彼女と「空気がすがすがしいですね!」と
声をかけ合いながら歩いていたのです。


そうしたらようやく堤防のようなものが見えてきて、そこに国土交通省の方が
大声で「千葉方面はこちらです!
と叫んでいるのが聞こえて、「大丈夫だ」と思い、しばらくして橋のようなのが
見えてきたのです。

暗闇の中で。

そうして、渡った橋が、この「江戸川水閘門」でした。
ここは車両の通行はできないところです。

ここを渡って、さらにもう一つ、「行徳橋」を渡って、ようやく千葉県に帰ることが出来ました。

千葉県に帰れたことで、本当に安心したし、またともに歩いている方を安心させることが
できてよかったと思いました。その方は、見ず知らずの私を信用してついてきてくれたのですから。


約30キロを6時間かけて徒歩帰宅しました。



その後、私は江戸川のこの水門について調べてみたところ


昔から塩害や利根川の洪水がひどく、それを防ぐために建設されたものだと
知りました。
この付近は津波や洪水の影響を多く受けていたので、
軍関係の施設はここより上流の、水害の影響のない場所に
つくられたとのことです。

(『地図に刻まれた歴史と景観 2 明治・大正・昭和』)


たとえば、松戸市のあたり(この橋よりもやや上流)などに。

この橋は1936(昭和11)より工事がはじまり、1943年に完成したものだということです。

古くはなっているものの、改修工事を経て現在に至っていると。




私はつい、千葉は東京に近いし、首都圏の中では住みやすいと思ってしまうのですが、
過去には大きな災害があり、その犠牲の教訓を活かして
こうした公共事業が実施され、その恩恵に与っているからだ!と認識を新たにしました。

大正6年には、総武線の線路まで影響するほどの大津波が2度もあったことを知りました。

・・・。私は、今回その総武線さえ乗れず、その線路よりも海側にある歩行者の橋を渡って
帰宅したのだと知りました。改めて、すごいことだったのだと思いました。
江戸川に吸い込まれそうになった瞬間もありましたが、本当に普通に歩けたのが
奇蹟のように思えました。

私は最近の日課として自衛隊のツイッターアカウントから見られる写真を見ていますが、
本当に言葉も出ないぐらいのなかで、それでも任務を果たしていらっしゃる方々に接し、
何もできないことを申し訳ないと思い、
何とか自分はしっかり日常生活を送ろうと思っています。


・・・ということで、次はまた、渡邉錠太郎大将ネタに戻ります。











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この記事へのコメント

因幡の白兎
2011年04月03日 09:42
天樟院章姫さまのお足で30キロ6時間の行軍は凄いですね!
渋滞の車を追い越して歩く様子は爽快だったことでしょう!
大和撫子強しです。
2011年04月03日 17:37
因幡の白兎さま
私の足では30キロ行軍は奇蹟です・・・。
暗闇の中で、徒歩で数日かけて寮からご実家まで帰宅された因幡さんのことを思いながら、何とか歩いて帰りました。
私は相手の方が元気な方だったから歩けたとも思っています。私と同じように普段ひ弱で通っている人だったら、どこかのコンビニ、ファミレスで席を見つけて倒れていたでしょう。二人とも。「元気」の大切さも学びました。

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