武藤章中将の平家物語観

中々更新できないでおりました。

内容的にも勉強不足だなあと思い、

ついつい、横道にそれてしまうのです

と、最初に言い訳をしておきます。


皆様は、今回の大河ドラマをご覧になられているでしょうか?

私は、実は「見ていません

テレビがないからです

正直、うつ病持ちの私には、テレビがあったとしても
心が滅入るものが多いと感じているからです。

よって、今回いろんな意味で話題になっている大河ドラマ『平清盛』は
観ていませんが、

武藤章中将が、巣鴨拘置所にて『平家物語』を読まれたことを
日記に書かれているのを思い出し、武藤中将が平家物語をどのように感じながら
読まれたのか、ご紹介したいと思います。


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引用はおなじみ!?この本からです。


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昭和23(1948)年9月25日条より


「今日は平家物語を読む。岩波文庫の戦後版は印刷が悪くて読み難い。
日本の文化運動は紙とインキかの復旧から着手するがよいと思ふ。

平家を読んで感ずることは、清盛入道の暴虐非道な行為に対する憤慨は
さることながら、
彼をしてかく至らしめたる重要な原因が

天皇を繞る(めぐる)陰険な策動であることである

家柄のみ馮(たの)み、力も能もなく、真の忠誠心もなく、
自己の権勢慾のみは逞しくて、
始終じめじめした策動ばかりしている公卿たちには

清盛ならずとも、男らしい人間なら癇癪が起きただらう。

頼朝がこれらのことを看取して、京に遠い鎌倉に幕府を創めたのは
賢明と云はねばならぬ。」

そのあと、明治維新の功臣たちは公卿ではなかったけれど、
時代が下るにつれ、逐次再び公卿化された人々が天皇の周囲にあつまっていったことに触れ、

彼らはある勢力とある勢力とを争はせて、
その間に漁夫の利を占めることを能とする。


歴代首相の推薦、財閥との交結、政党政治の腐敗、
軍部の憤激等々、

西園寺―牧野―近衛―木戸―原田

これに連なる面々の遣り方がさうさせたのだ。

日本歴史は公卿の罪悪を掩蔽(えんぺい)して
武家の罪のみ挙示する傾きがある。
大東亜戦争の責任も軍人のみが負ふことになつた。

武人文に疎くして歴史を書かず、
日本の歴史は大抵公卿若くはこれに類する徒が書いたのだから
著しく歪曲したものと見ねばならぬ。
平家を書いたのは未詳ならざるも、矢張り公卿の末流らしい。」


私はこの文章を初めて見たときに、なるほど!と思いました。
かなーーーり前ですが。

でも私は実は、お公家さん大好きですよ!
あのジメジメさも傍で見ている分には・・・。
彼らの陰険さや醜悪さの一端は、自分の心にもあると思っているぐらいですし。


今回の『平清盛』では、ガイドブックを見た感じでは、
天皇家・摂関家チームに素晴らしい方々が登場しているなということです。


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この本を読んで、私は役者さんたちの入れ込みように心を打たれました。

こんな風に演ずる人物を捉え、役に入り込もうとしているのだ!」と。

その中で一番、印象的だったのは、藤原忠実役を演ずる國村隼さんでした。

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彼は藤原忠実を「権力に帰依した男」と捉え、
もはやそれは理屈ではないのでしょうね。と言われていました。

役者さんは、いろんな役を演じるので、結構役作りも限られた期間で
深く理解しないといけない部分が大変そうだと思っていましたので、
今回のこの國村さんの捉え方が何と、簡潔で的確なんだろう!と思いました。

まさに、武藤中将がいうように

「ある勢力と勢力を争わせて漁夫の利を得ることに、何の疑問も持たない」ということだと
思います。
公卿は、家柄だったり役職だったりにしがみつくことで生きなければならないことを
体で理解してしまっているので、自責の念とかそういうのも武士に対しては持つこともない。
場合によっては身内や天皇家さえも、自分が生き抜くためには利用する。

武士にとってみると、「癇癪が起こる!」という役どころを、
言葉だけではなく、態度や空気感などでも表現するのは、
大変だろうなーーーと思いました。

個人的には、今回藤原忠実という人物に、
なぜか興味をもってしまいました!
この人、保元の乱では敗者側で、幽閉されてしまうのですが、
自分の息子が怪我を負って逃げ込もうとも会見を拒む人物です。

冷酷といえばそうですが・・・。

twitterで、田山花袋の短編「秋の日影」では、そんな忠実が、怪我によって亡くなった息子・頼長
の墓参りをする話だと紹介されていましたので、
どんなふうに彼の内面が描かれているのか、楽しみだったりします。


おっと、武藤さんの話に戻りまして・・・。

武藤さんが一番、「公卿化された人たち」に煮え湯を飲まされたのは

陸軍省軍務局長時代だと思います。

この職は、武藤さんのブレーンだった民間人・矢次一夫に言わせると

ヤクザな職

とのこと。

おそらく現役の陸軍軍人の中で、一番いろんな人たちと接する機会が多く、
軍人以外にも実業家、政治家、満州系の人たちとの付き合いをしてきて
調整につとめた武藤さん。

敵も多く、「カメレオン」と悪口も言われていたらしいです。

その武藤さんは、かなり近衛文麿に嫌われていたらしく、
その近衛に、現役を退いた将官がいろいろアドバイスをしていたことで
武藤さんからすると、「迷惑」だったらしいです。
近衛は軍人嫌いと言われているが、そうではなく、

自分に近づいてくる人はOKというところがあり、
自分に対して意見をする武藤のような人を嫌う傾向があったようです。

※このあたりの記述は、矢次一夫「陸軍軍務局の支配者」(『文藝春秋』32 1954年10月)を参考

まあ、近衛さんだけではないと思いますが・・・。

秋の一日、平家物語を読みながら、
巣鴨での武藤中将は、かつての軍務局長時代の苦労を
思い出していたのでした。

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